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【執筆ノート】
『老人流』

2020/03/30

  • 村松 友視(むらまつ ともみ)

    作家・塾員
    ※氏名の視は「示」に「見」る。

いわゆる〝老人物〟の本が氾濫するこのご時世に、私などがあえて『老人流』 なる本を出したかについて、いささかのご説明、いや供述をさせていただこうと思う。私の〝老人〟をテーマとする作品の特徴は、自らは〝老人〟の価値や境地に爪のかからぬ後期高齢者たる私からの、本物の老人たる存在への羨望にみちたスタンスということになるだろう。

たとえば、親戚の中で有名な笑い話となっている病いに臥せる95歳のオバアチャンが、見舞いに来た叔父たちに吐いたひとセリフ。

モゴモゴと曖昧な言葉を残して帰ろうとする叔父たちを、病床のオバアチャンが身を起こして呼び止め、「あたしゃ、あんたたちに一度きいてみたいことがあったんだがね……」と言って目をしばたたき、叔父たちの目を意味ありげにのぞき込んだ。遺産のハナシかな……そんな気分がちらっとかすめた叔父たちの目を、オバアチャンはもう一度のぞき込み、

「あんたたちにぜひきいておきたかったんだがね、あたしゃ、オジイサンだっけオバアサンだっけ?」

そう言い放ったというのだ。叔父たちは、ついにここまできちゃったのかと仰天し落ち込んで、早々にその場を辞したそうだが、それがオバアチャン亡きあとに笑い話として残ったのだった。

それをきいた私は、ハテナと首をひねった。オバアチャンは、そのセリフで見舞いに来た叔父たちを、ただ笑わせたかっただけではなかっただろうか。見舞い客の暗鬱な空気を、一気に明るく変えようとする、気遣いにみちたオバアチャンの〝老人流〟を、叔父たちはその場で受けきれなかった。老齢、弱者、同情、いたわり……そんな常識的感受性によって、余人に真似できぬ95歳のユーモアあふるる必殺ワザを、叔父たちは空しく不発に終らせてしまったではなかったか。

だが、空手の〝三年殺し〟ではないが、その場で空転したこの比類ないユーモアの苦みは、その死後に笑い話にお色直しをして、オバアチャンの象徴的エピソードとして語られている。げに〝老人流〟の生命力や強し、である。

ま、この手の〝老人流〟の連鎖が、今回の本のあらましなのであります。

『老人流』
村松友視
河出書房新社
200頁、1,200円(税抜)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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