三田評論ONLINE

【執筆ノート】
『演出家 鈴木忠志──その思想と作品』

2019/11/07

  • 渡辺 保(わたなべ たもつ)

    演劇評論家・塾員

「今までいろんな『サド侯爵夫人』を見たけれど、鈴木忠志の演出した舞台ではじめて三島由紀夫の思いが分かった」

ある友人の感想である。

『サド侯爵夫人』は三島由紀夫の代表作。サド侯爵夫人ルネを中心に、母親、妹、友人、召使の女ばかり6人の側からサド侯爵を描いた作品である。三島由紀夫一流の華麗なレトリックを駆使した、しかも観念的な言葉を多用しているから分かり難い。それが鈴木忠志演出で実に分かりやすい舞台になった。

なぜそうなったのか。

普通俳優は劇作家の書いた言葉を覚えて舞台でしゃべる。しかし他人(劇作家)の書いた言葉はあくまでも俳優自身の言葉ではない。それを自分の言葉にするためには、自分の身体で言葉を生きなければならない。口先だけでは駄目なのである。

ところがそれでも言葉の意味は通じる。物語は分かる。それを見た観客はそれを芝居だと思うだろうが、それは本当の芝居ではない。本当の芝居は言葉の表層にある意味や物語にあるのではなく、俳優がその言葉を舞台で生き抜いた時にはじめて現れる。それが芝居である。

鈴木忠志は、この言葉を俳優がひたすら生きることを追求した。その結果俳優が作家の書いた他人の言葉を自分自身のものとして、自分の身体で生きた。言葉の表層的な意味や物語ではなく、言葉の総体が浮かび上がり、そこに隠されていた作家の精神の深層が現れた。だから分かりやすかったのである。

これは演劇の歴史の中での革命であり、演劇を再生させるルネッサンスであった。そして同時に近代から現代への転換点の1つであった。なぜならば、この人間の言葉と身体の関係は人間の構造につながり、人間をどうとらえるかという問題だったからである。したがって鈴木忠志の革命は、近代的な人間観から現代の人間観の転換を意味していたから。鈴木忠志はその革命を行った。それが具体的にどういう方法をとったかは本書を読んで頂くしかない。しかし私はこの革命の時代を生きた人間の1人として、この革命の意味を検証したいと思った。したがってこの本は私の人生の総決算でもあった。

『演出家 鈴木忠志──その思想と作品』
渡辺 保
岩波書店
224頁、2,300円(税抜)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

  • 1
カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事