三田評論ONLINE

【執筆ノート】
『富士山──信仰と表象の文化史』

2019/07/18

  •  

  • H・バイロン・エアハート(著)

  • 宮家 準(監訳)(みやけ ひとし)

    慶應義塾大学名誉教授、日本山岳修験学会名誉会長

慶應義塾は2007年に富士吉田市と街おこしに関する連携協定を締結し、中島直人本塾環境情報学部准教授(当時)らが中心となって活躍した。このこともあって富士山が世界遺産となった直後の2013年10月号の本誌「三人閑談」で、同氏と三島市出身の明石欽司法学部教授に私も加わって塾のこの活動や富士山の歴史・文化について話し合った。その折、私が1988─89年にかけて、B・エアハートウェスタンミシガン大学名誉教授(この間本塾訪問教授)と「日本人のアイデンティティとしての富士山」のテーマで共同研究し、彼がその成果を富士山の世界遺産登録活動への一助として出版した本書の原書が話題となった。たまたま出版当時に原書を寄贈した富士山かぐや姫ミュージアム学芸員の井上卓哉氏が独力で翻訳されていた。そこで慶應義塾大学出版会に相談し、私が一部加筆修正して解題する形で刊行していただいた。

富士山は当初、その噴火が畏れられたが、その後万葉集の歌で称えられ、竹取物語のかぐや姫が祭神とされるなどして崇拝された。中世期には役行者(えんのぎょうじゃ)の修行伝承もあって富士村山を中心に修験の山とされ、近世期には吉田の御師(おし)の働きにより富士講が広まり、各地に富士講が作られた。またその美しい山容が北斎の浮世絵など芸術の源泉とされ、 輸出されて欧州にジャポニズムを齎(もたら)した。

近代には富士は日本一の山と宣揚され国内外に富士の山容に似た郷土富士が誕生した。また切手、紙幣などに日本の象徴として使用された。太平洋戦争中は日米ともに戦意高揚に用いられた。戦後は平和と繁栄の象徴として多くの会社が社名に使用した。そして1964年の東京オリンピックには表に五輪、裏に富士山、平成の天皇即位10周年には菊紋章の上に富士を配した硬貨が作られた。なお本書には過去と現在の富士講、丸山教、新宗教の富士信仰についても記されている。

来年3月には富士宮市の静岡県世界遺産センターでB・エアハート氏を招いて富士山関連の国際シンポジウムが企画されており、9月には富士市で日本山岳修験学会が開催される。

『富士山──信仰と表象の文化史』
H・バイロン・エアハート(著)、宮家 準(監訳)
慶應義塾大学出版会
376頁、4,500円(税抜)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

  • 1
カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事