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【執筆ノート】
『平成の藝談 歌舞伎の真髄にふれる』

2019/04/19

  • 犬丸 治(いぬまる おさむ)

    演劇評論家・塾員

昭和の終焉を、当時テレビの宮内庁担当記者であった私は皇居の濠の向こうで見守った。そのせいか、「平成」という元号にはやはり感慨がある。岩波新書の永沼浩一編集長から「歌舞伎をテーマに執筆を」と5年ほど前から依頼されていたが、天皇退位の日程が具体的俎上に載るに及んで、本書の構想がようやく像を結んで来た。

私が初めて歌舞伎に触れたのは昭和46年9月、小学6年生の時。それから半世紀近く、平成の観劇歴は約6割を既に占めている。昭和歌舞伎については、6代目尾上菊五郎・初代中村吉右衛門という二大名優を軸として語りつくされている。しかし平成も30年、大正の2倍の歳月を閲した今、「平成歌舞伎史」という縦糸は当然存在するし、かつ書かれるべきだろう。私はそれを、この時代を生きた歌舞伎役者たちの「藝談」という肉声を横糸に、紡いでみようと思った。

この30年に出版された「藝談」は、私の書架を覗くだけでも膨大な数に上る。今回は単行本から抽出するに留めたが、新聞・雑誌類、さらにはSNSでの発信まで加えたら気が遠くなる。それらを読みながら気づいたのは、「藝談」の性格の変遷であった。少なくとも昭和の終わりまでの役者たち、2代目松緑・7代目梅幸・6代目歌右衛門ら大正生まれの役者たちのそれは、「忠臣蔵六段目」の早野勘平なら勘平の型に触れ、その性根(役の性格)に辿り着きそれを舞台で具現化するまでの努力を時に多弁に、あるいは訥々(とつとつ)と具体的に語るものであった。

しかし以降は、「藝談」というより一種の「心構え」「人生訓」に近い。1つには、ビデオをはじめ映像全盛の昨今、演じる側が指針としての「藝談」を必要としないこと。また観る側にも「藝」への関心が薄く、型を中心とする細緻な分析を求めていないことが挙げられる。

無論、それで良いはずはない。折しも来年は13代目團十郎襲名という「歌舞伎の改元」を迎える。惜しまれつつ逝った18代目勘三郎・10代目三津五郎、本書の最後を飾る吉右衛門の言葉が、藝への飽くなき苦闘を知らしめる松明となれば著者として幸いである。

『平成の藝談 歌舞伎の真髄にふれる』
犬丸 治
岩波新書
208頁、760円(税抜)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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