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【執筆ノート】
『パラノイドの帝国──アメリカ文学精神史講義』

2019/03/20

  • 巽 孝之(たつみ たかゆき)

    慶應義塾大学文学部教授

わたしがアメリカ文学研究を志したきっかけのひとつは、ケン・キージーの60年代対抗文化小説『カッコーの巣の上で』(1962年)だった。精神病院に収容された、暴れん坊だが正義感の強いマクマーフィと寡黙だが洞察力に優れた北米原住民、チーフ・ブロムデンの友情が織りなす悲喜劇は、我が国では74年に邦訳され、78年には浅利慶太率いる劇団四季が上演し、鹿賀丈史、滝田栄という配役で評判となる。異民族同士の友情もさることながら、むしろベトナム戦争時代のアメリカそのものが限りなく管理主義的な精神病院であるかもしれない。大義名分を欠いた弾圧には徹底して抵抗しなければならないという問題意識は、20歳前後の私に強烈な印象を刻み込んだ。今年は J・D・サリンジャーの生誕100周年だが、彼の『ライ麦畑でつかまえて』(1951年)にも同様の構図が潜む。世間的常識から逸脱したアウトサイダーだからこそ市民的抵抗を示しうる可能性こそは、アメリカ文学の魅力であろう。

こうしたメンタリティを、50年代から60年代にかけて北米の政治思想史をリードしたコロンビア大学教授リチャード・ホフスタッターは「反知性主義」(anti-intellectualism)と呼び、それと不可分の傾向である「パラノイド・スタイル」(paranoid style)を探究した。ともに我が国ではネガティヴに響くが、果たして本当にそうか?

反知性主義については、昨今のアメリカや我が国における政権批判などに応用されているから広く知られていよう。しかし、ホフスタッターが証明したのは、反知性主義が単なる経済優先や軍事尊重ではなく、何よりも反権威主義としてアメリカ文学においても主流を成す精神史を形成して来たこと、それと表裏一体を成すものとして、国家的/国際的水準における陰謀妄想つまりパラノイド・スタイルが時に魔女狩りや赤狩り、ひいてはUFOによる地球人誘拐体験譚にまで拡大して来たことであった。そこにこそアメリカならではの物語学的な創造力が秘められていることを具体的な文学作品、映像とともに例証し、これまで死角に隠れていた精神史を明るみに出そうとしたのが、本書である。

『パラノイドの帝国──アメリカ文学精神史講義』
巽 孝之
大修館書店
258頁、2,200円(税抜)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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