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【執筆ノート】
『資本の亡霊』

2019/03/13

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  • ヨーゼフ・フォーグル著

  • 羽田 功(訳)(はだ いさお)

    慶應義塾大学経済学部教授

本書はベルリン・フンボルト大学教授ヨーゼフ・フォーグルの『Das Gespenst des Kapitals』の全訳である。2010年に出版されて以来、すでに8カ国語に訳され、多くの読者を獲得してきている。

テーマは、経済・金融の理論や思想、現実の出来事を手がかりとして不安定性・不確実性に覆われた世界を読み直すことにある。キーワードは「オイコディツェー」。神の創造になるこの世界になぜ悪が存在するのかを問う「テオディツェー(神義論)」からの著者による造語であり、あえて訳せば「経済神義論」となるだろうか。「神義論」といえば、世界は最善状態へ向かうとするライプニッツが思い浮かぶが、これはアダム・スミスの「見えざる手」の働きと表裏一体の関係にある。そして、このキリスト教ヨーロッパを捉えて離さない世界観は、「オイコディツェー」として今もなお強靭な生命力を保ったまま、現代の資本主義経済・金融市場を支配しているように見える。だが、現実には、最善状態とはほど遠い、それどころか「前代未聞」、ありえないと考えられてきた経済危機・大暴落が繰り返されている。この巨大な矛盾をどう理解すればよいのか――これが本書の最大の関心である。

著者がいうように、本書は「現代経済システムの改造に求められる処方箋」ではない。しかし、それは著者が経済・金融の専門家ではないからではない。むしろ、思想やメディア論といった本来のフィールドから経済・金融の世界を眺めた時に浮かび上がる根本的な問いかけ、つまり、その世界の土台にある「オイコディツェー」自体を問い直すことに本書の意味がある。きわめて刺激的な知的挑戦ともいえるだろう。

著者はなかなかの売れっ子で、プリンストン大学でも終身訪問教授を務めるなど多忙を極めているが、今回が日本における実質的なデビューなので、30年近くの付き合いの誼で「日本語版のための前書き」を依頼したところ、印刷直前になって長文の「あとがき」を送ってくれた。内容的には新たな1章といってもよい。訳者としてはいささか慌てたが、これによって日本向け特別版になったと思う。感謝! である。ご一読いただければ嬉しい限りである。

『資本の亡霊』
ヨーゼフ・フォーグル著、羽田 功(訳)
法政大学出版局
320頁、3,400円(税抜)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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