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【執筆ノート】
『小泉信三──天皇の師として、自由主義者として』

2019/02/22

  • 小川原 正道(おがわら まさみち)

    慶應義塾大学法学部教授

慶應義塾において、小泉信三は福澤諭吉に次ぐ知名度を誇る。

しかし、小泉の人生を語ることは容易ではない。戦時体制下において、塾長小泉は積極的に戦争を肯定し、戦意を高揚し、塾生を戦地に送り出した。反マルクス主義の経済学者だった小泉は、多くのマルクス主義者を敵にまわし、論争を展開した。戦後は日本が自由主義陣営に身を置くことを信念として単独講和を主張し、中立論者や全面講和主義者と対立した。人望も人格も学識も備え、味方も多かったが、敵も多かった。

その小泉を、なるべく客観的に、中立的に、そして平成のうちに描いておきたい。それは、平成という時代を創ってきた天皇の若き日の教育責任者が、小泉だったからである。小泉はどんな青少年時代を送り、いかにして経済学者となり、そして塾長となり、さらに、どんな理念と思想をもって、皇太子時代の天皇を教育したのか。終戦後のその活動と理念は、あの戦争における好戦的な小泉と、どうつながっていたのか。

筆者が本書の基調に据えたのは、小泉が終戦後に発表した「反省」という文章にあらわれている「道徳的背骨(モラル・バックボーン)」である。小泉は考えた。かつて明治の興隆を支えたのは、「道徳的背骨」を備えた士族であった。彼等は大学教育をほとんど受けることなく、しかし日清・日露の戦争を勝ち抜いた。大学教育を受けた世代が指導者になり、良書が普及し、普通選挙が実施された後の先の大戦では、未曾有の愚かな事をした。なぜか。日本人が「道徳的背骨」を失ってしまったからではないか。

小泉は、多分に自戒を込めた「反省」を表明しつつ、昭和天皇への進講、そして皇太子教育にあたっていく。時に英国王ジョージ5世の信念に学び、昭和天皇の君徳を語り、福澤の著作に学びながら、次世代の天皇に「道徳的背骨」を植え付け続けた。皇太子もそれに応えるように、「モラル・バックボーン」のある人になりたい、と語るようになる。

被災者に寄り添い、戦没者を慰霊し、祭祀に勤めてきた平成の天皇の姿に、筆者は小泉のレガシーをみる。平成の起源をたどる旅を、本書を通じて読者諸氏にも味わっていただき たい。

『小泉信三──天皇の師として、自由主義者として』
小川原 正道(著)
中公新書
224頁、780円(税抜)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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