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【執筆ノート】
『なぜヒトは学ぶのか──教育を生物学的に考える』

2019/02/19

  • 安藤 寿康(あんどう じゅこう)

    慶應義塾大学文学部教授

遺伝子や脳を研究しているので、しばしば「医学部出身ですか」と名誉な(?)誤解をされるのだが、そんなときは胸を張って「学問的に最下層の文学部生まれ文学部育ちです」と偽悪的に応えることにしている。

確かに大学受験では「理系落ち」して文学部にとどまった。哲学や文学や歴史学の色彩が強い慶應義塾大学の文学部(あたりまえだ)の中に40年あまりどっぷり浸かっているはずなのに、いまだに歴史感覚は育たず、哲学や文学の抽象的な議論には頭が凍ってしまう。むしろ双生児のデータがはじき出す心理現象への遺伝の影響を示す頑健な結果を手にするときのほうが安心だ。根源から解き明かす確固としたエビデンスがない議論に、どうして身を任せられるのだろう。この感覚こそ私が文学部的思考をする遺伝的素質を欠くことを紛れもなく証明している。それでも幸い慶應で行動遺伝学者としてそれなりの仕事ができた。

しかし肝心の「教育とは何か」がわからない。私が身を置く慶應の教育学は、どんなアプローチをとろうと、常に「教育とは何か」を問う哲学的学風がある。これは魅力的だった。知能や学力に遺伝の影響があることを示しても、それだけでは「教育とは何か」の答えにならない。

10年ほど前に「進化」の神が天啓をくれた。これこそヒトがなぜ教育によって学ぶ生物なのかを「根源から解き明かす」説明原理であることを悟った。いかなる動物も学習なしには生き延びられない。ほとんどの動物はそれを個体学習によっている。しかし脳が生み出す不可視な「知識」に依存して生きるヒトは、それを他者の援助がないと学べないのだ。それが教育の進化的起源である。同時に遺伝子が与える能力の多様性も、個体だけではできない多様な適応的知識の創造を促し、教育によってその知識を皆のものにできる。脳はそのために言語や心の理論や実行機能をヒトにもたらした。こう考えるとヒトの本質と教育の本質を生物学的に統一的に理解できるのだ。

私の遺伝子と脳は文学部に適応的ではなかったかもしれないが、そんな私の研究を許してくれたのは、紛れもなく慶應義塾の自由な知的環境だったと思わずにはいられない。

『なぜヒトは学ぶのか──教育を生物学的に考える』
安藤 寿康(著)
講談社現代新書
280頁、840円(税抜)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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