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【執筆ノート】
『武士の起源を解きあかす──混血する古代、創発される中世』

2019/02/13

  • 桃崎 有一郎(ももさき ゆういちろう)

    高千穂大学商学部教授・塾員

本書を書いた動機は不純だ。私には別の研究テーマがあった。平安京は古代から政治的なショーを繰り広げるための〝劇場都市〟だったが、中世になって武士が政治の主役になった時、それはどう再構築され、いつ、誰によって、どのようなメッセージを発信するメディアとして機能したのか、というテーマだ。

そのテーマを追究するには、武士が平安京・朝廷の中で生まれたのか、それとも外の地方社会で生まれたのかが、はっきりしている必要があった。そして武士論の専門家たちはその議論を放棄していて、答えが出る見込みがなかった。それでは私の研究全体が挫折してしまうので、仕方なく自分で取り組んだのである。

私は武士成立論の勉強を、ゼロから始めて1年しかしていない。だから不備や間違いはあるだろう。しかし、この本に絶対揺るがない意義があるとすれば、それは「武士はどこから生まれてきたか」というテーマに正面から取り組み、人に提示できるまでの仮説を組み上げ、囂々(ごうごう)たる非難を恐れず仮説を提示する勇気を奮ったことだ。たかが勇気だが、その勇気をほぼ誰も示さない世界にあっては、無価値ではあるまい。

そうした私の性質を培ったのは、振り返れば慶應義塾の風土だった、といえなくもない。学界で、徒弟制の村社会に見える国立大学の社会的しがらみを目にするにつけ、私は義塾の文学部で学べたことを幸運だと思う。そこは良くも悪くも、私を放っておいてくれ、私が自分のやり方を貫いても村八分にしなかった。考えてみれば当然で、そこは村社会がそもそも存在しない放牧地だった。

とにもかくにも、武士成立論について、そこそこ筋の通った答えが出た。なぜか。私はこの問題を何が何でも突破して、1日も早く本来の研究テーマに戻らなければならなかったからだ。一方、専門家たちがこの問題を解けないのは、一生かけてこの問題と付き合うから、急いでいないからではないか。研究が進むかどうかは、「何が何でも今すぐ答えを、真実を知りたい」という切実な動機の有無で決まる。本書の執筆で、そんな洞察を得たと思っている。私はしばらくの間、この洞察を後進たちに口うるさく吹き込んでゆく予定だ。

『武士の起源を解きあかす──混血する古代、創発される中世』
桃崎 有一郎(著)
ちくま新書
356頁、980円(税抜)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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