【執筆ノート】
『ただの文士 父、堀田善衞のこと』
2019/01/22
「一九八二年
池田弥三郎(六七歳)
ある時に、赤坂の立派な料理屋で御馳走になった。(略)
長々と雑談が、四方山話だけがつづき、私はまったく狐につままれたみたいであった。が、やがて話が本題に入り、学園紛争が続いている折柄、私に、ある大学の要職に就け、という由なのであった。苦肉の発想なのであったろう。
私は、要するにタダの文士でありたい、と言い、氏の失望を買った。」
(堀田善衞「この十年(続々)」『誰も不思議に思わない』筑摩書房)
数年前、岩波書店の編集者から、父、堀田善衞のことを書きませんかと勧められました。長く読み継がれていくべき父の著作、そして生きたあり方を後に受け渡すためにも、というような主旨でした。どうしたものかと思い悩み、私は父の著作を少しずつ読みはじめることにしました。読むことによって、その時代と時間の奥にいる父のことを思い出し、ああ、この言葉は聞いたことがある、そういえばこういうこともあった……そういう作業を続けていきました。
冒頭の池田弥三郎氏追悼の文章もそのひとつです。当時、私は文学部の塾生でした。父親が大学の要職になど就いていたら、一体どのような顔をして大学へ行けばよいものなのか。考えただけでも恐ろしい、もしそうなっていたら中途退学をしていたかもしれません。父がただの文士であり続けてくれたことで、私は無事に卒業ができたのです。
父は、何か気になることがあれば、調べなければならないことがあれば、まず行く、どこまでも行く、見る、そして考える人でした。父の出かけて行った場所をたどっていけば、私にも父の姿がおぼろげながらも見えてくるのかもしれない。そういう思いもあって、父の著作を読み継ぎ、見えてきたものを書いていきました。過ぎていった時が、堀田善衞というひとりの文士の姿を、少しだけ客観視して書いていくことを可能にしてくれていたのかもしれません。その積み重ねが『ただの文士 父、堀田善衞のこと』という1冊になっていったということでしょう。
『ただの文士 父、堀田善衞のこと』
堀田 百合子(著)
岩波書店
224頁、1,900円(税抜)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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堀田 百合子(ほった ゆりこ)
堀田善衞長女・塾員