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【執筆ノート】
『ドローンの哲学─遠隔テクノロジーと〈無人化〉する戦争』

2018/11/21

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  • グレゴワール・シャマユー著

  • 渡名喜 庸哲(訳)(となき ようてつ)

    慶應義塾大学商学部准教授

本書は、フランスの科学哲学者G・シャマユーの主著の1つである。ドローンといってもアメリカを中心とする軍用無人航空機を主題にし、戦争技術はもとより、無人機による遠隔的な殺害がもたらす心理的・倫理的問題から法律、政治哲学まで幅広い射程で遠隔技術の軍事利用が孕(はら)む様々な問題をえぐり出している。

私は、現代フランス哲学や社会思想、とりわけレヴィナスをはじめとする20世紀の思想家を研究しており、ドローンはもちろん科学哲学や戦争倫理学の専門ではない。そのため、本書の翻訳を手がけたことには意外だとの声もあったが、私としてはそれなりに共通した関心があっただけにその一端を記しておきたい。

一番近い関連は、ナンシーの『フクシマの後で』やデュピュイの「賢明な破局論」など、2011年の東日本大震災以降、継続的に関心をもってきたフランスの哲学者たちの「カタストロフ」論だろうか。その関連で、現代のフランスにおける政治哲学、技術論、環境思想はできるだけ見渡すようにしているが、そのなかでシャマユーは異彩を放っていた。

私個人も折に触れて福島に足を延ばし復興の様子を見に行っているが、本書に出会ったのは、「世界の終わり」のようにほとんど「無人」だった立ち入り禁止区域が、「福島イノベーション・コースト構想」で遠隔技術開発の中心地に生まれ変わろうとしているのを知った矢先だった。「遠隔技術」についての哲学的な考察を深める本書はヒントを与えてくれるはずだと思ったものだ。

だが「無人化」の問題自体は、けっして現代技術に固有のものでもないだろう。「絶滅」の一歩手前までいったレヴィナス、アーレントあるいは『時代遅れの人間』の著者アンダースら20世紀のユダヤ人思想家たちの考えは、まったく状況が異なるけれど、〈人間〉の限界を考えるという点で、シャマユーの議論と交差するところがあると思っている。

もう1つ、翻訳を手がけたのは、日本において、大学での軍事研究の解禁と人文学の不要論が同時に議論されている時期であった。政治と資本と学問の関わりの点でも、本書の視座はいくらかの手がかりを与えてくれるだろう。

『ドローンの哲学─遠隔テクノロジーと〈無人化〉する戦争』
グレゴワール・シャマユー著、渡名喜 庸哲(訳)
明石書店
352頁、2,400円(税抜)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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