三田評論ONLINE

【執筆ノート】
『仏像と日本人──宗教と美の近現代』

2018/11/12

  • 碧海 寿広(おおみ としひろ)

    龍谷大学アジア仏教文化研究センター博士研究員・塾員

近代社会では宗教の影響力が次第に衰え、科学的世界観や現世的な価値観が優勢になる、という説がある(世俗化論)。実際、現代日本では特定の宗教団体に熱心にかかわる人は少数派で、あるいは宗教の教えに基づき自分の暮らしや人生上のもろもろの選択を行う人も少ない。

他方で、宗教的なものと日本人との関係がひたすら弱まっているかというと、意外にそうでもない。平成時代の仏像への人気の高さが、その最たる例だと思われる。仏像は本来、仏教の教えや理念を彫像によって伝えるために創造された。明らかに宗教的なものの一種である。

とはいえ仏像を好きな人々の多くは、別に宗教的なものを求めているわけではないだろう。美術品ないしは歴史的に価値ある存在として、あるいは、教養を深めたり、趣味として楽しんだりするために、仏像に接している人が大半のはずだ。

本来、宗教的なものである仏像が、なぜ、宗教とは無関係に、現代の少なからぬ日本人に愛されているのか。その謎を解くことは、私たちの生き方や価値観の問い直しにつながるのではないか。本書を執筆するに至った大きな動機の一つである。

謎の解明に実際に取り組んでみると、そこに日本の近代化と密接に関連した、さまざまな要素が見出された。たとえば、美術という考え方や、それをとりまく制度である。

日本人は昔から、寺社建築の壮麗さに見とれたり、屏風絵に美を感じとったりしてきた。だが、それらを「美術」として一括して捉え、学校で教わり、博物館などで鑑賞するようになるのは、明治以降の近代という時代である。西洋から輸入された美術の思想によって、私たちの社会に新たな風習が形成されたわけだ。

そして、仏像もまた、この美術のカテゴリーに取り込まれる。その結果、やがて宗教とは無関係に、学ばれ、楽しまれるようになった。現代の仏像人気の背後には、こうした近代にもたらされた思想的・社会的なイノベーションがあったのである。

美術だけではない。写真の普及や観光の隆盛なども、仏像と私たちの関係を一変させた。拙著では、その実態を多角的に検証し、日本の近代とは何だったのかを再考している。

『仏像と日本人──宗教と美の近現代』
碧海 寿広(著)
中公新書
272頁、860円(税抜)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

  • 1
カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事