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【執筆ノート】
『帝国議会──西洋の衝撃から誕生までの格闘』

2018/10/23

  • 久保田 哲(くぼた さとし)

    武蔵野学院大学准教授・塾員

自宅から日吉までの、約2時間の道のりは、決して短くはなかった。塾高入学から大学2年までの5年間、日吉への通学時間の大半を睡眠と読書に費やした。心を踊らされたのは、歴史小説であった。とりわけ幕末維新期に関心を持った。

明治維新とは何であったのか、なぜ東洋で日本のみが急激な近代化に成功したのか──このような疑問に対する回答を求めるため、法学部政治学科を選択し、大学院にも進学した。しかし、学ぶほどに疑問は増え、かつ深まっていった。

それでも、試行錯誤を重ね、先の疑問に対する回答として上梓したものが本書である。尊王攘夷、文明開化、富国強兵──さまざまなスローガンに彩られた幕末維新期にあって、一貫して掲げられたものが公議であった。これは、平たく言えば政治参加の拡大を求めるものである。

周知のとおり、江戸時代の政策決定過程は、きわめて限られた範囲で行われた。しかし、1853(嘉永6)年のペリー来航により、事態は一変する。黒船の「衝撃」は、武士たちに自らが活躍する時機が到来したことを確信させた。知識人たちは、文明化のためには議会政治の実現が必要であると考えた。かくして、彼らは公議による政治を主張し、幕府が倒れ明治政府が誕生する。

もっとも、維新直後の明治政府は政治参加の範囲を徐々に拡大しようと考え、殖産興業を優先した。他方で在野では、即時の民撰議院開設を求める自由民権運動が隆盛した。彼らは激しい「格闘」を繰り広げたが、ともに議会開設を目指す点では変わらなかった。

1881(明治14)年10月、「国会開設の勅諭」が発せられ、9年後の議会開設が宣言された。今も昔も、9年後の約束を信じる国民は、そしてそれを守る政治家はほとんどいないだろう。ましてや当時、西洋諸国では議会政治の定着に200年近くかかったと認識されていた。しかし、明治政府はそれを守った。議会開設は彼らの権力を奪うことにつながるのに、である。

帝国議会の誕生をめぐる歴史は、現代を生きる私たちにも大きな示唆を与えてくれる。詳しくは本書をご一読いただきたい。

『帝国議会──西洋の衝撃から誕生までの格闘』
久保田 哲(著)
中公新書
288頁、860(税抜)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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