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【執筆ノート】
『プーチンのユートピア──21世紀ロシアとプロパガンダ』

2018/07/24

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  • ピーター・ポマランツェフ(著)

  • 池田 年穂(訳)(いけだ としほ)

    慶應義塾大学名誉教授

〈ナボコフは、天敵から身を隠すために、発生過程の初期の段階において色を変える方法を学ばなければならなかった蝶の種について述べたことがある。その蝶の天敵はとうの昔に絶滅していったが、それでもその蝶は変身するという純粋な快楽のために今でも色を変えている。似たようなことがロシアのエリートたちにも起きたのだ。〉これは、新たな「権威主義(オーソリタリアニズム)」体制の創始者プーチンの懐刀スルコフの面妖なパーソナリティを論じた章にある記述だ。

1977年キエフ生まれの著者は、ユダヤ系で反体制派の両親に伴われ生後すぐにソ連から亡命したイギリス人である。2001年からの10年間をテレビ局勤めなどしながらロシアで過ごしたが、それはロシアが石油バブルに沸き、プーチンの治政が続く時期とみごとに重なる。その間の見聞を元に、ロシア社会の断面を、ロシア人のメンタリティの因(よ)るところを、世界をリードするロシアのプロパガンダや劇場型政治を鮮やかに描いてみせ、英国王立文学協会オンダーチェ賞を受賞した。昨年1月に来塾し講演したティモシー・スナイダー氏も著書『暴政』(原著・拙訳とも2017年)で必読の書として挙げているほどだ。

登場する何十人ものロシア人は、上は新たなジェット族(セット)となったオリガルヒから、下は妹をイスラム過激派から抜け出させて一緒に働けると喜ぶ売春婦、元ギャングの映画監督、カルトに食い物にされるスーパーモデル、新兵虐めで死にかける若者などまで、まことにヴァラエティに富んでいる。また、取材地域も11の時間帯を持つロシアの各地に及ぶ。

賄賂(カネ)とコネがなければ生きてゆけぬロシアの世情、スピンコントロール、皆が少しでも権力(クレムリン)の近くにいたがるために起きる地上げで破壊される古き良きモスクワ、富裕層のマネーロンダリング等々、著者の描く世界はディストピア的であろう。けれど、個々の人間に向ける眼差しは温かく、多彩なエピソードにはイロニーもユーモアも備わって、優れた短編小説を読む趣さえ感じさせる。謝辞にも含めたが、鈴村直樹には今回も独・北欧関係で知恵を借りた。病床に本書を届けた際に見せてくれた笑顔を思い出しつつこれを記す。

『プーチンのユートピア──21世紀ロシアとプロパガンダ』
ピーター・ポマランツェフ(著)、池田 年穂(訳)
慶應義塾大学出版会
324頁、2,800円(税抜)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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