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【執筆ノート】
『日本文学全集の時代──戦後出版文化史を読む』

2018/06/26

  • 田坂 憲二(たさか けんじ)

    元慶應義塾大学文学部教授

団塊の世代を中心に、戦中・戦後派の人々の教養は、日本や世界の文学全集によって育まれたと言って良い。今日でも日本の文学や文化を研究する留学生が知識の泉としていると仄聞する。その文学全集の流れを記録し、出版文化史の上に位置づけることが本書の目的である。

著述の基礎資料の収集に時間とお金を費やしたという話はよく聞くが、本書の場合は、時間はともかくお金の負担は少なかった。文学全集の古書価が暴落しているからである。これに助けられた面もあるが、寂しい思いの方が強い。費用の問題の代わりに浮上したのが、大揃いの全集を次々と検分する広い場所の確保である。毎日のように、時に土日も研究室に来ていたのは、私が生真面目な研究者であったのではなく、本を積み上げる場所が必要だったからである。本書は、比喩的な意味ではなく、即物的な意味で、時間と空間! を費やして出来上がったものである。

次々と文学全集や関連資料を古書で購入しているうちに思いがけない出会いもあった。古書は旧蔵者の痕跡が残っているのが楽しみと豪語するマニアもいるぐらいであるが、ある全集は、高級官僚から知事さらに国会議員に華麗なる転身を遂げた方の学生時代の旧蔵書と思われた。御当人宛の近所の本屋さんの納品書が挟まれていたのである。近づきがたいエリートが一挙に親しみをもって感じられるようになった。

古書店と同じくらいお世話になったのが各地の図書館である。文学全集の異装版は泥沼のようなもの。どれだけ蒐集しても不安が残る。趣味の文学館巡りの時は、必ずその土地の図書館を訪ねて、文学全集の棚を見る。函や帯を付けたまま保存したり、郷土の作家の書籍なら文学全集の異装版も重複所蔵している図書館などでは、感激したものである。

出版社の社史や出版目録は、この種の調査に必須である。出版社の精緻な社史類は、本書の記述や推測を検証するために不可欠であった。膨大な社史の記述の一部を修正することもできたが、それも各社が自社の出版物に愛情を注ぎ、細大漏らさず記録していたことによる。出版社・図書館・古書店等々の書物に注いだ愛情の上に本書は成り立っている。

『日本文学全集の時代──戦後出版文化史を読む』
田坂 憲二(著)
慶應義塾大学出版会
296頁、2,400円(税抜)


※所属・職名等は当時のものです。

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