三田評論ONLINE

【執筆ノート】
『日本の公教育──学力・コスト・民主主義』

2018/06/26

  • 中澤 渉(なかざわ わたる)

    大阪大学大学院人間科学研究科教授・塾員

本書は2014年に上梓した『なぜ日本の公教育費は少ないのか──教育の公的役割を問いなおす』(勁草書房)で論じきれなかった公教育の機能について、社会学的考察を加えたものだ。前著は予想外の高評価を得たが、ハードカバーの専門書のため、手の届きにくい価格だった。しかし本書は新書であり、読者を大学生以上と想定し、広く手に取っていただけるよう、基本的かつ最新の知見を取り入れた。これらをもとに、教育の公共性について読者一人一人が考える切っ掛けとなればと考えた。

国際比較データから明らかなように、政府財政支出ベースでも、経済規模を示すGDPベースでも、日本の公教育費負担率はOECD最低水準だ。私費を含めた日本のトータルの教育費負担はOECD平均水準だが、家庭の重い負担によって、何とか平均水準が維持されていることを示している。特に私費負担が重いのは、就学前教育と高等教育である。

ところが、この問題は、多くの日本人の間で共有されていない。教育は崇高で重要な営みだという言説がある一方で、公教育費の増額を望む日本人の割合は、国際的にも少ない。教育を受けた人は、もちろんメリットを享受するが、教育の普及は社会全体にも利益をもたらす。しかし後者はあまり認識されていない。教育学者も、教育の公共的利益を実証的に示す努力を怠ってきた。

本書はアメリカなどの先端の研究を紹介しつつ、教育の意義を社会科学的かつ実証的に示そうと試みたものだ。当然、筆者は日本の厳しい財政事情を認識しており、安易な教育無償化論に与するつもりはない。むしろ、国民の税負担が増えることになるかもしれない。だから公教育費を増やすのであれば、教育の公共的意義を理解する社会的同意が必要だ。その根拠・エビデンスを、いかにして示すかが問われているのだ。

日本の学校は、高い期待の裏返しかもしれないが、社会的に強い批判も浴びせられてきた。しかし学校や教師を叩けば、問題が解決するわけではない。国際比較の観点では、日本の教育は健闘している部分もあり、教育というより、労働市場や家族の問題でもあることは、私たちも認識しておかなければならない。

『日本の公教育──学力・コスト・民主主義』
中澤 渉(著)
中央公論新社
280頁、880円(税抜)


※所属・職名等は当時のものです。
  • 1
カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事