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【義塾を訪れた外国人】
ジョージ・スタイナー:義塾を訪れた外国人

2017/05/05

三田での体験

4月23日生まれのスタイナーは、来日して10日後に誕生日を祝ったわけだが、その日が文豪シェイクスピアの誕生日で命日、イングランドの守護聖人セント・ジョージの祝日で、しかも慶應義塾の開校記念日と重なったのである。この偶然に、論客をもって知られる氏も相好を崩して喜んだ。

滞在が終わりに近づいた頃、スタイナーは安東教授に言ったそうだ。「ここに来る前に読んだ中根千枝教授の『タテ社会の人間関係』(1967年、英訳もベストセラー)を読んだり、カーメン・ブラッカー博士(福澤諭吉論で博士号を取得したケンブリッジの日本研究者)から得た話で、日本は縦社会だと散々聞かされてきたが、どうも慶應は違うようだ。君と髙宮さんの言動を観察していると自由闊達で、欧米の社会で見る師弟関係とそっくりだから」。さすがに慧眼で、塾内の自由闊達な雰囲気を見抜いておられたのである。もっとも私が大きな図体をして、肩で風切って歩いていたからかもしれない。

スタイナーはケンブリッジの英文学講師だったが、教授に昇格することなく、3年の任期後、再雇用されなかった。歯に衣着せぬ言動が保守的な教授たちの反発を買ったのであろう。F・R・リーヴィスや、後のコリン・マッケイブと同じく、スタイナーもケンブリッジを追われ、ジュネーヴ大学の比較文学の教授となった。しかし、その後もずっとケンブリッジに住み、週末に帰宅すると、土曜日の朝は開館前の大学図書館前に仁王立ちで待っている姿を何度も目撃した。その頃私もケンブリッジに3年間留学していたからである。氏とは学会でお会いしたり、ロンドン行きの電車を待つケンブリッジ駅で遭遇したものだ。その都度、「安東さんはお元気ですか」と声をかけられた。後に研究休暇でケンブリッジに滞在した安東教授一家とは、家族ぐるみの交際を続けた。

スタイナー教授は幼い頃罹った小児まひの後遺症のため、スポーツは不得手だったようで、一度心不全を患った。しかしその後も評論活動を続けている。チェスをよくするスタイナーには、有名な観戦記『白夜のチェス戦争』(1973年)がある。

スタイナーが三田に残した衝撃は、サルトル、ボーヴォワール来塾(1966年)と同じく、大きかった。私も大いに刺激を受けて、彼の著作を読みふけったものである。私にとって最も衝撃的だったスタイナーの言辞は、三田でのセミナーで、「最近はダンテを読まずして、T・S・エリオットのダンテ論を通して、ダンテを語る研究者が多すぎる」と、ギョロリと目をむいて言い放った時だった。背筋が凍りつく思いだった。現代批評理論が盛んになってきた時期で、スタイナーはリーヴィスの『偉大なる伝統』(1948年)を踏まえて、作品理解をその伝統の中で取り戻したいと希求し、批評理論を振り回して古典をもてあそぶ傾向に、警鐘を鳴らし続けたのであった。それは初期の評論集『言語と沈黙』などからずっと受け継がれてきた。

スタイナー来日の影響

短期間ながら日本の知性と議論をし、桜を愛で、京都などを巡ったスタイナーが、帰国後日本論、日本人論を発表するのを期待する風向きを感じていたのか、文化人類学者の山口昌男との対談で次のように語っている。「日本に初めて来て、しかもほんの短期間しか滞在しなかったのに、帰ってすぐ日本に関する本を書いた、非常に有名な人たちがいましたが、私はそういう過ちだけは犯したくありません」(『文学と人間の言語──日本におけるG・スタイナー』)。これは『表徴の帝国』(1970年)を書いたフランスの哲学者ロラン・バルトを揶揄したものと思われた。

スタイナー来塾の余波は年末まで続いた。白井浩司、若林真、中田美喜、安東伸介、池田弥三郎の共同編集による『文学と人間の言語──日本におけるG・スタイナー』(慶應義塾三田文学ライブラリー)が出版されたからである。実質的な編集責任者は安東教授で、英文科総出の出版になった。スタイナーの講演・対談の邦訳には名翻訳者として知られた大橋吉之輔、山本晶、由良君美、加藤弘和といった教員が動員された。本書は資料集としての価値も高いせいか、ネットでは現在も8,000円以上、コンディションがよければ18,000円もする。

ウィキペディアを見ると、90歳に近いスタイナーが存命中で、来塾時はまだベビー・フェースだった容貌が変化したことが分かる。美しい少女だった令嬢のデボラはコロンビア大学の教授になっている。1940年、フランスからアメリカのニューヨークに亡命したスタイナーは、その年米国の市民権を取得した。彼の目にトランプ大統領の移民政策はどう映ったのだろう。以前のような辛口批評を期待したいところだが。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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