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【義塾を訪れた外国人】
ピエール・トルドー:義塾を訪れた外国人

2016/12/12

カナダ講座寄贈と塾の地域研究

どうして、カナダ講座の寄贈が名誉博士号授与の理由になるのかどうか気になる。当時は、そのくらい重要なことだと考えられていたのだろう。とくに、学者としてのトルドー氏を正しく評価できた憲法学者の平良先生がこの話の切掛けをつくり、当時法学部長であった石川忠雄先生が学部を代表して、名誉博士号授与を塾当局に推薦している点が重要である。石川忠雄先生といえば法学部長の後に塾長を長く務め、慶應義塾の戦後のさらなる発展を促しただけでなく、新学部の創設と同時に、法学部政治学科の地域研究や国際政治研究を発展させて、政治学科の存在価値を高めることに成功した人物である。

当時は、地域研究の充実の他に、政治・社会学分野における米山桂三・堀江湛教授を中心とした、規範的政治学から実証主義的政治学への転換が行われた上に、十時厳周先生を中心とした入試改革が政治学科カリキュラム改変と同時に進行する大いなる革新の時代だった。

石川先生ご自身も中国の地域研究において大きな業績を残されているが、トルドー首相が来日された頃には石川門下の逸材を有効活用して、戦前より存在する欧州諸国研究に加えて、中国、朝鮮半島、東南アジア、北米(米国)・中南米、ソ連、アフリカの地域研究を既に確立していた状況にあり、残されている大きな地域はオセアニア、インド大陸、そして北米のカナダのみであった。

このような地域研究拡張期にカナダ政府から講座寄付の話が来たのだから、石川教授は大いに喜ばれたと思われる。いずれカナダ研究者を養成する上でも、講座の存在はよい土台になると思われたかもしれない。カナダ講座開始時期とトルドー首相の来日に合わせて、同氏の連邦政治家になる以前の業績も評価した上で、トルドー首相への名誉博士号授与となったのであろう。

三田山上を歩くトルドー首相。左から2人目が久野洋塾長。

トルドー首相の業績

それでは、名誉博士授与に相当するトルドー首相に大いなる業績はなかったのか。当時、トルドー首相の大いなる業績が日本で十分理解されていたようには思えない。

今から回顧すると、学者としての業績はともかくとして、首相としては偉大な業績を残している。それは、「多文化主義(multiculturalism)」の導入という大きな政治的革新を導いたことにある。仏語系カナダ人の多いケベック州では、戦前・戦後、英国の影響の大きかったカナダのなかで長い間窮屈な思いをしていたことから、1960年代より分離・独立の機運が高まり、独立を進める過激主義も登場し、1970年には連邦・州政府の大臣の誘拐や殺傷事件も生じていた(10月危機)。カナダ分裂の危機が叫ばれた時代に首相となったトルドー氏は、ケベック出身者でありながらケベック独立に反対し、その代わりに2言語主義に基づく多文化主義を1971年に導入して、仏語系ケベック人の文化・言語維持を保証する。10月危機に代表されるカナダ分裂の危機を乗り切ったのだ。さらに、その後の国際移民の時代の多文化社会化する国民国家の、新しい社会統合原理としての多文化主義を世界に広めたという点で、特筆すべき人物である。その直後の来日と名誉博士号授与だったのだが、そのことが十分意識された上での授与ではなかったようだ。しかし、顧みると素晴らしい名誉博士号授与だったといえる。

カナダ講座寄贈とカナダ首相への名誉博士号授与に刺激されたのか、オーストラリア政府が、国際センターにオーストラリア講座と図書を寄贈し、同時に、筆者に対して法学部に豪州講座を設置するよう働きかけてきたのは、このすぐ後のことであった。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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