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【義塾を訪れた外国人】
サミュエルソン:義塾を訪れた外国人

2016/05/05

日本とアメリカでの出会い

筆者が最初にサミュエルソン教授の名前を聞いたのは、塾の経済学部に入学してからであった。日吉から三田へ進学する際のゼミ選択では、学問をやる限り本質論をまず学ぶのが良いと考え、理論経済学の福岡先生のゼミを迷わず受験した。入ゼミ試験対策として、サミュエルソン教授の『経済学: 七版』(Economics:An Introductory Analysis)の原著と、訳本(都留重人訳、岩波書店)を対比して、必死に日吉では習っていない経済学の専門用語などを勉強した。

三田へ進学し、福岡先生のゼミに入ってからは、先生からしばしばサミュエルソン教授のお話を伺って、『経済分析の基礎』を初めて読んだ。

サミュエルソン教授の来塾などを記念して、福岡先生は、ちょうど、教授の一般読者向きの論説を訳した選集を、『ポール・サミュエルソン経済学と現代』(日本経済新聞社、昭和47年)として、刊行されていた。一般の読者向きの論説ということであったが、その中の第1章1の「経済分析と極大原理」は、分析経済学における極大原理の役割に関するサミュエルソン教授のノーベル賞受賞記念講演であり、当時、自分が勉強していた経済理論の本質を理解するのに、非常に役立った。

その後日本の大学に就職してからMITへ留学したが、MITを留学先として選んだ理由として、学部4年生の時に聴いた、教授の塾での講演があったことが関係していたように思う。

当時の大学院のミクロのコアコースの春学期の後半が、サミュエルソン教授の授業であった。テーマは、資本理論と、厚生経済学、不確実性であった。必須の文献は、福岡先生の所で勉強していた時に知っていた論文などがほとんどであったが、とにかく、教授の授業での英語がわからなかった。

教授は、必修のミクロの授業を担当されていたわけだが、授業に見えると、黒板の所へ椅子を引っ張っていって、学生がいようがいまいがお構いなしという感じで、学生に背を向けて座り、黒板の隅の方に、ぼそぼそとしゃべりながら、板書するという形であった。私が習った当時、お幾つだったか計算してみると、64歳位になられていたと思われる。断言できないが、おそらく私が授業を受けた時が、大学院のコアコースを教えられた最後の年だったのではないかと思う。

教授の授業は、このように、私には非常に聞きとりにくかったが、校舎内でお会いする時には、とてもお元気で、矍鑠とされていた。

サミュエルソン教授の教え

留学から帰国後、私は、日本の大学院当時に勉強していたテーマ(理論経済学)とは若干異なり、応用ミクロ経済学の分野、中でも、主に都市経済学などを中心に研究したが、今回サミュエルソン教授の研究を振り返ってみて、現在、主に研究している都市問題などに関して、教授の研究から学ぶことがいかに多いか、改めて痛感している。

このように、サミュエルソン教授は、偉大な理論経済学者であると同時に、応用経済学の分野でも数多くの業績があり、現実の政策提言も活発にされており、非常に幅の広い、偉大な経済学者であった。政策当局は、「政府と市場どちらが欠けても、公共の福祉を実現できない」(ニューヨーク・タイムズ)というサミュエルソン教授の言葉を念頭に置いて、その時々に適切な経済政策を実施すべきであろう。

まだ日本から、ノーベル経済学賞の受賞者は出ていないが、近い将来に、是非受賞者が出て欲しいし、できれば、塾関連の研究者から出て欲しいと切に願う。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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