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【塾員クロスロード】
アグニュー恭子:遠くを思って言葉を紡ぐ

2026/01/16

  • アグニュー恭子(アグニューきょうこ)

    作家・2000文、2005文修

細々と、文を書いて暮らしている。

幸運なことに、2024年に出版した歴史ミステリ『世尊寺殿(せそんじどの)の猫』が、第14回日本歴史時代作家協会賞の新人賞という栄誉ある賞をいただいた。だから一応、「新進気鋭の歴史小説作家」と称したいところだけれど、正体は、高齢出産を経て幼子の養育に振り回される、アラフィフの疲れた女である。残念ながら、あまり派手な切れ味はない。

そんなわけで、私という人間自体には、とりたてて面白いところはない。だが、「アグニュー」というカタカナ姓で北アイルランド在住という私の経歴と、鎌倉時代を舞台とした私の作品の組み合わせは、少し珍しいものとして受け取られがちだ。

「日本の中世史を題材にした小説を海外で執筆する苦労はありますか」

そのせいか、そんな質問をされることがよくある。これは簡単なようで難しい質問で、いつも返答につまってしまう。苦労があると言っても無いと言っても、どちらもしっくりこない。

確かに、海外に住む人が日本の歴史について調べて小説を書くというのは、日本に住む人が同じことをするより、大変なように聞こえる。そして実際、資料の入手のしやすさや取材旅行のしやすさなどを考えたら、遠ければその分不利なことは、多少はあるだろう。だが、「海外に居ながら昔の日本を書くのは難しいか」と考えると、「そこは別に変わらない」という答えに行きつく。

つまりはこういうことだ。東京から700年前の日本を思うことと、ベルファストから700年前の日本を思うことを比べたら、誤差は僅かで、等しく遠い。時間の遠さは空間的な遠さを帳消しにして、私が日本からはるかに離れたところにいる日本語の書き手だということを、きれいに忘れさせてくれさえする。むしろ、距離が直接文章に響いてくる分、海外に居ながら現代の日本を書くほうが、ずっと難しいかもしれない。

とても遠くにある愛しい世界に思いを馳せ、強く引きすぎたらすぐに切れてしまいそうな言葉の糸を、恐る恐る手繰り寄せる。そのようにして私は、書いている。その遠さといったら果てがなく、書くことはいつでも、とてももどかしくて辛い。でもそれは、世界中のどこに住んでいても変わらない楽しみでもあるのだ。だからこそ今日も、遠くを思って言葉を紡いでいる。


※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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