【塾員クロスロード】
塩塚 尚人:センバツ甲子園に出場して
2025/11/19
私は現在、鳥取県の米子松蔭高校硬式野球部で監督を務めています。塾生時代は、体育会野球部に所属していました。
卒業後、地元である鹿児島の金融機関に勤めました。4年間勤めた後、どうしても高校野球への想い、甲子園への想いを捨てきれず、高校野球の道へと足を踏み入れました。ご縁あって、鳥取県の米子松蔭高校にてお世話になることになり、約1年間コーチを務めた後、監督に就任。現在6年目になります。
就任当初は、生徒達の生徒指導を中心に行ってきました。それと同時に、生徒の主体性を引き出していくために、自ら考え、行動することができるよう指導してきました。日々の小さな積み重ねは、1年目の春季県大会で21年ぶりの優勝をはじめ、県大会や中国大会などの結果としてついてきました。迎えた4年目の夏の選手権県大会、決勝で3点をリードし、9回の守りを迎えました。ところが、あと1球から逆転負けを喫して、甲子園を逃しました。野球の難しさを肌で感じた一戦となり、非常に悔しい思いをしました。しかしその悔しさは後輩たちに引き継がれ、直後の秋季県大会で準優勝し、秋季中国地区大会では創部初の決勝進出を果たしました。そして、33年ぶりに今年のセンバツ甲子園に出場することができました。
ここまで来ることができたのは、体育会野球部の堀井哲也監督や、慶應義塾高校野球部の森林貴彦監督をはじめ、関係者の皆様から勉強させていただき、お力添えをいただけたからだと思います。甲子園では花巻東高校に初戦で敗れました。選抜高等学校野球大会に出場し、チームとしても私としても、全国の舞台で勝っていくためにはさらなるレベルアップが必要だと実感しました。
本校の目標は日本一を掲げています。それと同時に、目的として「恩返し・人間形成」を掲げています。ただ試合に勝つ、ただ上手くなるだけではなく、野球というスポーツを通じて、自ら考え、行動し、主体性のある組織を形成していくことを大切にしていきたいと思っています。高校野球は多くの方々に支えられ、100年以上の歴史があります。受け継いできた100年のバトンを次の100年へと引き継いでいくために、変化する時代を感じながら、自らの使命は何かを考え、今後も努力していきたいと思います。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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塩塚 尚人(しおづか なおと)
米子松蔭高校硬式野球部監督・2014環