【塾員クロスロード】
山口 彦之:日々是空日也
2024/12/19

当店「空也(くうや)」は、現在は銀座6丁目の並木通り沿いに店を構えておりますが、元々は明治17年に上野池之端で開業した菓子屋で、私で5代目、今年で140年になります。店名の由来は、初代が関東空也衆の一員で、空也上人のお名前を頂き屋号と致しました。
私はこの店の長男に生まれ、幸運にも慶應義塾に学ぶ機会に恵まれ、大学卒業後は流通小売業で経験を積み、菓子製造の実務を経て家業を継いでおります。「良い素材を使い、材料の風味を生かし、あまり手を加えない」ものづくりの信念やアナログな商売のスタイルは、私が物心ついた40年前から変わりません。
そんな長閑(のどか)な店に、令和2年4月7日、激震が走りました。新型コロナウイルス感染症拡大による緊急事態宣言が発令され、世の中が静まり返りました。銀座も例外ではなく、行き交う人や車もなく、右を向いても左を向いても街の端から端まで見渡せる景色は初めてで呆然としました。通りで営業している店もわずかに6軒ほど。その内の1軒が空也でした。
殆どの飲食店や百貨店が休業を余儀なくされる状況でしたが、営業を続ける判断に迷いはありませんでした。その決断を後押ししたのは慶應義塾で学んだ2つの教えでした。
1つは幼稚舎で習い福澤先生誕生記念会でも合唱した「福澤諭吉ここに在り」です。上野の山で官軍による戦いが始まった際、福澤先生が芝新銭座で授業を続けた様子の歌ですが、緊急事態宣言による混乱の中でも、当店の菓子を必要としている人がいるならば、私も菓子屋として菓子を作り続けようと固く決心しました。
もう1つは私が在籍した慶應義塾高校野球部での教え。上田誠前監督が掲げた部訓の一説。「男は危機に立って初めて真価が問われるものだ。(後略)」「エンドレス(いつまでもやってやろうじゃないか)」。私は部員、大学生コーチとして計7年在籍しましたが、その間の経験で、簡単には諦めない粘り強さを育みました。これが不安に押し潰されそうになったコロナ禍でも心を強く持ち続ける礎となりました。
創業150年は目指しません。ご挨拶や帰省のお土産、冠婚葬祭の引菓子として大切な場面でお使いいただける限り、その想いに寄り添い良いお菓子を作り続けたいと思います。その積み重ねで151年目を迎えられたら嬉しい限りです。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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山口 彦之(やまぐち ひこゆき)
有限会社空也代表取締役・2003文