【塾員クロスロード】
石川滋:音楽とともに
2024/01/25

僕がクラシック音楽を志した決め手は、何と言ってもパブロ・カザルス(チェロ)の録音を高校時代にLPで聴いたときの感動でした。自分の人生に「何か」が足りないと煩悶する毎日だった思春期の一高校生にとって彼の音、音楽は、僕にとっては天からの一筋の光のように思えたものです。ここには「真実」がある! と心から思いました。
もう1人大きなインパクトを僕の人生に与えてくれたのはマイルス・デイビス(ジャズトランペット)でした。高校時代からジャズもかじっていた僕は、慶應ではジャズ研(モダンジャズソサエティー)というサークルにはいり、そこでの交友関係は今でも大きな財産です。ジャズ研に限らず慶應OB・OGの皆様からはこれまでたくさん応援していただき感謝しております。
卒業した年の夏から僕の海外音楽武者修行が始まります。結局2013年に帰国するまでアメリカに18年、スイスに7年住むことになります。最初はイェール大学、翌年にはジュリアード音楽院の修士課程に入りました。レイトスターターである僕にとってはこの時期に受けた教育の重みやありがたみは計り知れません。心から尊敬する師に必死に食らいつきながらこの時期は本当によく練習や勉強をしました。
特にジュリアードに行っていたニューヨーク時代はよく学びよく遊ぶを地で行く毎日。朝9時から練習し始め、学校の閉まる夜11時まで練習したら、ウォークマンを爆音で聴きながらブロードウェイを歩いて50丁目あたりまで友人達との飲み会へ行き朝まで大笑いし、また翌日も同じことをするなどという、今では考えられないことをしていたのも懐かしい思い出です。
その後アメリカのオーケストラやスイスのオーケストラの首席のポジションをいくつか渡り歩き、夏の休暇中は日本に帰りソロや後進の指導などオーケストラ以外のやりたいことも出来る限りやり続け、2013年に読売日本交響楽団ソロコントラバスとして帰国いたしました。
日本が大好きな僕なので25年間慢性的なホームシックではありましたが、実際にアメリカとヨーロッパに身を置き、その仲間として受け入れてもらいながら音楽活動を共にした時間は僕にとって計り知れないほど大きな財産、そして揺るぎない自信になっています。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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三田評論のコーナー |
石川 滋(いしかわ しげる)
コントラバス奏者・1988経