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【塾員クロスロード】
大山美鈴:文章のように絵を書く

2023/07/07

  • 大山 美鈴(おおやま みすず)

    イラストレーター・2005文

小さいころから人によくものを訊いていた。答えを聞いてわかるような気がしたり、わからないような気がしたりする。

絵をかくときも、自分に向けて問いと答えを繰り返すことで進んでいく。

「なんで?」を繰り返していくと、文を構成する単語すべてについて「なんで?」が増えていく。言葉は使う人や状況によってそれぞれその指し示す範囲が異なっておりだぶつきがあるからだ。訊けば訊くほど答えの中にまたわからないことが増える、自分でも完全に把握できることはない。そのだぶつきでにじんだところから、自分にとっての形を探し出すように絵をかいているという気が、最近はしている。

大きな音で水がこぼれたのを鎮めてまた自分に戻すというような作業だ。

会話では言葉が一方向へ進んで行く。書かれた文章ではある程度時間軸から自由になるが、やはり進行方向は決まっているように思う。

「小さいころから人によくものを訊いていた。」これは「前に書いた文」だ。

文章では離れた位置にある同じ言葉が別のものになる。絵では進行方向を無視して連想を追いかけて行ってもそれをほぼ同時に並べることができるし、ずれた位置にあるものを繋がっているように配置することもできる。文と絵には違うブレがあり、わたしはどちらにも親しみを感じている。というよりそこに自分の部屋があるように感じている。

「なんで?」と問うことのできる隙間が無限にあり、設問を変えるたびに見える世界が変わる。

絵をかくときどこからかくのか、と時々訊かれる。わたしの場合はじめに簡単な物語のあらすじのようなものを文章で書いてからその内容と枝分かれしたサイドストーリーを配置して進めていく。

そのため絵について書こうとしたときに文章について書くことになり、自分に対して「なんで?」を繰り返していったところ、このような文章が出来た。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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