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【塾員クロスロード】
平野馨生里:「たつけ」をつくり、未来を描く

2023/01/19

  • 平野 馨生里(ひらの かおり)

    石徹白洋品店店主・2005総

西洋から日本にズボンが入ってくる前、日本人は何を着て田畑を耕していたと思いますか? 日本の民族衣装といえば着物や浴衣。でも、それでは野良仕事はできません。

日本にもズボンの形態の服がずっと昔からありました。それは、私が移住した岐阜の山奥の集落・石徹白(いとしろ)では「たつけ」という名前で作られていました。お尻からもも周りまでは余裕があり、ゆったりとしていて、足裾にかけて細くなっているパンツのことで、立ったり座ったりするのが楽で作業に適しています。

10年ほど前、私は、昭和8年生まれのおばあちゃんから、こたつに並んで座って作り方を教えてもらいました。全て直線断ちで直線縫い、次はこれ、次はこれ、と1つひとつ教えてもらってパズルのピースを組み合わせていくような作り方に目から鱗が落ちました。しかもたつけを穿いてみるとズボンにある窮屈さは一切なくて驚くほど動きやすい。

洋服のズボンを作ると端切れがたくさん出るので、服づくり=ごみ作りと感じてジレンマを感じていた私は、この素晴らしい先人の知恵を世界に広めていくことが使命だと勝手に思い立ち、石徹白洋品店を創業し、たつけの商品化、たつけづくりのワークショップの開催などに奔走しています。

とはいえ、この石徹白に移住したのが2011年9月。石徹白洋品店を始めたのは翌年5月ですが、その年の12月に第一子が産まれ、昨年5月には第四子を出産。お店の経営は、私にとって常に妊娠・出産・子育てと同時並行なので、仕事だけに全力で取り組めた時期はまだなく、いつも日々を必死で生きている状況です。きっと石徹白の人々もこうして子供を育てながら、田畑を耕しながら、必要な現金収入となる稼ぎもしながら精一杯生きてきたんだろう、と先人らの背中を励みにしつつ歩み続けています。

まだまだ私の夢は途上。石徹白に宿を作り藍染や草木染め、山への散策などの体験ができる滞在プログラムを行うこと、そこには昔のように馬が共に暮らしていること、多世代交流ができる住宅を建て若い移住者も、そして地元の高齢者も愉快に交わりながら最期まで石徹白で過ごせる環境を作ること……。

地域の皆と力を合わせて明るい未来に向けて、1つずつ楽しく実現していきたいと意気込んでいます。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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