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【塾員クロスロード】
畠山海人:楽しんで魅せる

2022/11/28

  • 畠山 海人(はたけやま かいと)

    ALPHYZ代表・2019KMD修

人はこれまで身体を思う通りに動かすことが困難な時、身体機能を補綴(ほてつ)するための技術を発明してきた。眼鏡がその1つだ。そして、現在は補綴から能力の拡張について取り組む流れに変化しつつある。

例えば、脚部に欠損がある場合、歩くという動作は義足という補綴を装着することで可能にし、走るという動作は、バネの技術を用いたスポーツ用義足により身体を拡張することで可能にした。そして、スポーツというエンタメのフィールドに当事者が立つことが可能になった。

義足はスポーツ分野で注目されており、義足選手の記録がオリンピック記録を上回った事実がある。私は、障害を持つ当事者が「健常者の身体能力を超える」ことに、超人を見た子供のように魅了され、強く興味を抱いた。同時に社会一般にネガティブな意味を持つ「障害」という固定概念に対して強く疑問を持った。

当時、私は身体拡張に関する研究に携わり、義足のように義手も何かしらの可能性があるのではないかと考えていた。そこで私は、欠損という障害を、自由にデザインし拡張やカスタマイズができる「余白(スケッチブック)」として捉え直した。

従来の義手研究では、機能面に主眼が置かれ、エンタテインメント性に着目した提案が少ない。エンタメとは本来、参加する対象を楽しませることを目的とする文化的行為と定義され、障害の有無に関係しない。

しかし、健常者をモデルに作られた既存の楽器やスポーツを当事者が満足に楽しむことは難しく、環境整備もされていない。先天性欠損の場合、生まれた時点で将来の選択肢が制限されるといった現状である。

私は欠損という「余白」に対し、自由な演奏機能を持つ「義手楽器MusiArm」をデザインすることで新たなエンタメの枠をつくる活動に取り組んでいる。義手楽器は、身体表現と音楽表現の融合によって身体の一部を楽器として機能させた、直感的な演奏表現を実現する。東京パラリンピック閉会式では当事者による演奏パフォーマンスを披露し、義手楽器が多くの人の心を魅了した。

当事者が「できないこと」の1つである楽器演奏を「できること・楽しいこと」の1つに変えることで、〝障害を隠すための義手〟から、人々を魅了する〝魅せる義手〟へと変容させ、義手や障害に対するパラダイムのシフトを目指す。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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