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【塾員クロスロード】
近田火日輝:シンプルさと装飾性

2022/10/26

  • 近田 火日輝(ちかだ ひびき)

    株式会社fireworks.vc代表取締役・2001政

書籍、特に漫画本のブックデザイナーをしています。なにか新鮮な話をお聞かせしたいので、先日もうひとつの母校・武蔵野美術大学で「シンプルさと装飾性」について講義した内容からかいつまんで書いてみようと思います。

デザインに興味のある方で、無印良品の商品が好きという方は多いと思います。MUJIはじめ、モダンデザインはとかくシンプルが規範と考えられがちです。しかしそれはほんとうだろうか? というのが僕の最近の関心事です。MUJIファンの方は、無印製の家具や衣類を置くことで部屋を「さびしく」したいのでしょうか? むしろ逆に、生活を「にぎやかに」したいという意識を見出せるのではないでしょうか。

つまり、「装飾したい」という気持ちは意外に根源的だということです。2万年前のラスコーで、壁画の牛が「ない」生活と「ある」生活どれだけ劇的に違っていたか考えてみてください。シンプルなMUJI製品で部屋を「装飾する」というのはちょっと聞くと矛盾しているようですが、それはシンプルを規範ととらえる先入観のためです。規範でなく一技法にすぎないととらえれば、より現実をうまく説明できます。

もともと「和」の多義性という問題意識がありました。和風というと漠然とシンプルなものを連想しますが、実は日本文化にはシンプルの極みもあれば、華美の極みもある。国宝クラスで列挙してみても、前者には「卯花墻(うのはながき)」「童子切安綱(どうじぎりやすつな)」「松林図屏風」などがある一方で、後者には「稲葉天目」「七支刀」「洛中洛外図屏風」などがある。シンプルさに規範性を読み取ろうとすると、そういう多義性を説明できないのです。

では、シンプルが規範――つまり価値基準ではないとすると、上記の名品に感じられる価値の源泉は一体何なのでしょうか。僕は「費やされた時間」がそれなのではないかと思っています。洛中洛外図のような細密な作品はもちろん、松林図のようなシンプルな作品にも、その画面を構成するための熟慮・研鑽を思って、人は膨大な時間を予感します。この予感にふれるとき、生活を豊かにしようとする覚悟、つまり装飾性が感じられる。そこに価値の源泉があるのではないでしょうか。

次に本を買うとき、「費やされた時間」のこと、よかったら想像してみてください。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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