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【塾員クロスロード】
岸田匡啓:自らの感覚を感覚する感覚

2022/03/29

  • 岸田 匡啓(きしだ まさひろ)

    唐津焼作家・2006文

ふと入った美術館の絵の前で、立ち止まり、周囲の音が消える。

自分が絵を見ている、のだが、絵が自分を見ている、または、絵を見ている自分を自分の目が上方から見ている。かと思えば体がふわっとして、自分が踏んでいるフロアの下から、絵を見ている自分を、自分の目が見ている。

そこで自分が何かに感動しているらしいことに気づき、自分が何を感覚しているのか、自分が自分の感覚を徹底して見つめる時間が始まる。

美術品にかかわらず、何かに感動した時、誰でも一度は感じたことのある感覚かもしれません。いわゆる「陶芸家」として奇跡的にそれが生業になっている今でも、このように「自らの感覚を感覚すること」こそ、すべての出発点であり、目的地でもあるのだと度々感じます。

文学部の美学美術史学専攻を卒業し、研究室付きの事務職員としても2年間、義塾にお世話になった後、24歳の時に突如、陶芸の道に入ろうと決意し唐津にて5年間修業。のち独立して現在10年目を迎えます。

普段は唐津の山から土や石を採取し、それを手ずから精製し、粘土や釉薬にし、それを成形、施釉し、薪窯、登り窯で焼く、という桃山時代と本質は変わらないような仕方で器を作っています。茶器、酒器、花器、食器などを桃山時代の唐津焼の様式を使いながら制作し、わずかに自分の解釈やニュアンスを加えるということが普段の私の仕事です。

作家業としていわゆる「伝統工芸品」を作るということは、「オリジナルな模造品」を作るというやや倒錯した仕事であり、少しでも気を抜くとマンネリや模倣作業に陥るという怖い仕事でもあります。

これに対抗する術は、自分の作ったものを明徹に見つめ、どこが生き生きしていてどこが死んでいるか、自分が自分の器のどこに感動しどこに感動しないか、自身の感覚を腑分けし、次の制作を方向付けていくことの中にしかありません。

今の自分にとっての命綱ともいえる、「自らの感覚を感覚する感覚」、この感覚を養ったのはいつだったろうかと思いだす時、不安と期待の中で宙づりであったからこそ自由であった、日吉や三田に通った時間が心に浮かび出されるのです。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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