【塾員クロスロード】
斎藤 聡:夢の力で食べていく
2021/02/11

新卒で入社した伊藤忠商事を2年で辞めたとき、両親から涙がにじんだ直筆の手紙をもらった。
「就職して安心していたのに。夢だけでは食べていけないのよ」
26歳で無職。両親の絶望感は、今自分が親になって初めて分かる。しかし2002年日韓W杯を目の前で見た時、目指すものがはっきりした。「日本をW杯で優勝させたい」。自分に何ができるか。2003年夏、スペイン・バルセロナのESADEビジネススクールに入学した。
当時FCバルセロナの副会長は同校の卒業生で、日本での親善試合後に朝まで飲み明かす機会を得た。早朝に一緒にタクシーに乗り込むと、突然車内で入社面接が始まった。
「アジアサッカーを私より知っている人はいない。私を雇うべきだ」
横柄にも程がある。だが私には熱意しかなかった。そんな日本人はユニークだったのだろう。卒業と同時に即入社が認められた。毎日が夢の世界だった。オフィスはカンプノウスタジアムの敷地内にあり、試合も練習も好きなだけ観れた。
しかし、どんなおとぎ話にも終わりがくる。あるとき上司から「黙ってアジアから金を巻き上げろ」と怒鳴られた。自分のルーツはどこなのか。アジア・日本で世界に誇れるクラブを作りたくなった。
2007年日本サッカー協会(JFA)に入局。川淵キャプテンや鈴木徳昭さん(塾員)と出会う。本気で日本のW杯優勝を考える人たちだった。
「日本を強くするためにはアジアの競争が必要。アジアを強くしてこい」との指示で、2009年アジアサッカー連盟(AFC)に出向し、マーケティングディレクターに就任。年間約200日アジア諸国を周りサポートした。インドネシアでは分断した2つの国内リーグを統合。すると訪れたスタジアムで「AFC!」の大コール。スポーツの力で社会を変えられると確信した。
その後JFAに戻り、日本代表戦運営などを担当。2017年にJFAを離れ、米国系五輪マーケティング会社GMRを経て、2020年“世界をつなぐ会社”HMRコンサルティングを立ち上げた。これからもW杯優勝に向かって邁進していく。
「夢があるから強くなる」
JFAを退職する際、川淵キャプテンから頂いた言葉。私だけではない。世の中には夢を追い続けるクレイジーな人たちがいる。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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斎藤 聡(さいとう さとし)
HMRコンサルティング代表取締役社長・1997政