【塾員クロスロード】
百瀬 雄太:生を肯定する場所をもとめて
2020/07/17

場所がほしい、とおもっていた。
その場所が、いったいどんな場所であるのか、わからなかった。
20歳のころのことだ。
ぼくは音楽をしたり詩を書いたりしていて、将来は弁護士にでもなろうかとおもってみたり、地域型のアートプロジェクトなるものをやってみたりと、なにひとつ、はっきりとせぬままに日々を送っていた。
古本屋をはじめることになったのは、ほんのささいなきっかけだった。
ぼくが暮らす、岐阜県恵那市には、個人営業の古本屋というものがどこにもなかった。
大きな本屋ならあった。けれどもぼくは、ぼくが行きたいとおもうような、すてきな場所を、見つけることができずにいたのだ。
だから、つくることにした、といえば、そうなのだとおもう。それはうそではないけれど、理由なんてものはただ、あとからくっつけたものにすぎないものともおもえてくる。
本はすきだった。すきでたくさん読んでいた。そして音楽もすきだった。古いものの匂いも、ひとがしずかであれる場所も、たいせつななにかをたいせつに扱うことも。
そしてなによりもぼくはぼく自身が、じぶん自身であることの赦される場所が、ほしかったのだと、いまでは、おもう。
そしてぼくのまわりのひとびとが、なによりもじぶん自身のかけがえのないその生を、たいせつに、生きてほしい、と、そう望んだ。それはたぶん、確かなことだと、ぼくはおもっている。
それがかたちになったのがこの場所、古本「庭文庫」であるとおもう。
笠置山のふもとにたつ築100年以上の古民家で、ふるくからたつ巨きなかやの木と雄大な木曽川とを目の前に、縁側にすわってながめるこの自然界のゆたかさのそのなかで、ただここに来るひとたちに、みずからのありのままの自然を生きてほしい。
ぼくが願うのはただ、それだけだ。
本たちは、そうして生きるきっかけとなってくれるようにと願って選んだものたちで、これからもずっと、ただこの星に生きてある無数の生の存在を、抱きとめる、ゆりかごのような場所であれたらと、ぼくは願って、仕事をつづける。
どこまでもとおくちかく、この星にあるはずのそれぞれに固有のその時をあたためながら、ぼくたちは、日々を、すごしていく。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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百瀬 雄太(ももせ ゆうた)
古本「庭文庫」店主・2012総