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島 充:明治3年の熊本城を模(かたど)る

2020/03/11

  • 島 充(しま みつる)

    城郭・古建築模型作家・2004文

熊本城は日本3名城に数えられ、特に清正流(せいしょうりゅう)と呼ばれる高石垣の美観において名高いが、この石垣は全て建築物の痕跡であって、本来は余すところなく櫓(やぐら)が建ち並んでいたのである。幸いにもその壮観は明治初年に撮影された多くの鮮明な古写真に見ることができ、加えて江戸時代の実測平面図があり、良好な石垣遺構が残ることから、かなり正確に実像に迫り、近似値で模型化できると予感していた。

しかしながら、熊本城の力は、あの場所に身を置き、原寸大の空間の中でこそ見る者を圧倒するのであって、模型に縮小してもその魅力は到底再現できるまいと思われた。熊本地震以前、熊本城では、本丸内の大部分の建築物を復元する計画が進んでおり、いつの日か原寸大で往時の姿を見ることができると思っていたから、それが実現するまでは、思索の中で自分なりの〝復元〟を楽しみ、古写真の中の姿を石垣の上に想像することで満足していた。

2016年4月、熊本地震。

崩れ落ちた熊本城をようやく訪ねたのはその3カ月後であった。そこでこみ上げた思いは今になっても言葉にすることはできない。

出版社から熊本城をテーマにした本の企画が出来(しゅったい)し、迷うことなく本丸全域の模型化を決めた。再現時期は明治3年の廃城時、縮尺は150分の1とし、建物1棟1棟について、古写真の瓦や部材を数え、寸法を割り出し、石垣の測量図の上に構成し立体化した。熊本城には多くの不整形平面の櫓が存在し、立体化に困難を極めるものが少なくない。古写真に線を引き、影の出方を観察し、どのように不整形の屋根を納めていたのかを明らかにした。中には新発見や、初めて実体化できた箇所が含まれ、これらは現実の復元においても課題となる点であり、いつか役立つ日が来るはずである。

「模」という字には「探る」という意味もある。文字通り立体化することで建物の姿を探っていく作業の全過程を『熊本城超絶再現記 巨大ジオラマでよみがえる本丸の実像』(新紀元社)として上梓した。

模型は単に形を写すことではなく、模索し実証することでもある。同時に城郭や古建築といった美的建造物を再現する以上、その美的価値も写さねばなるまい。日本の建築の魅力をこれからも再現(represent)し、発信していきたい。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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