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【塾員クロスロード】
浅野祥:芸能と共感

2020/01/16

  • 浅野 祥(あさの しょう)

    三味線プレイヤー・2012総

いにしえより人の輪ができるところには芸能がありました。これまで私は、文化や芸能が人々を惹きつける理由は、表現の技巧や美しさにあると思っていました。しかし、今は人の輪の中心の正体とは、芸能を通して起こる「共感」という人間の本能的な機能自体なのではないかと思っています。そう考えるようになってから、私は〝自分らしさ〟をより愛せるようになりました。すると、自分の出す音も変わり、今まで超えられなかった技術的な壁も超えることができたのです。

17歳でプロとしてデビューして以来、必ずしも楽しいだけの日々ではありませんでした。特に20代中盤までは、感動する音楽とは何か、自分の音楽性は間違っていないかと悩んでばかりいました。誰かに〝認めてほしい〟という思いが強く表れすぎていたのだと思います。三味線の皮を厚くしたり、撥(ばち)の素材や大きさを変えたりしながら試行錯誤し、それでもうまくできずに落ち込んで、また気を取り直す──そんな日々が、つい最近まで続いていました。ところが、今では、肩の力が抜け、気負いがなくなり、三味線が楽しくてしょうがなかった頃の気持ちに戻れています。

津軽三味線と切り離せない音楽の1つに民謡があります。かつて民謡は、日本中で大流行しました。しかし時代は変わり、現代の若者たちが民謡に〝共感〟することは少なくなっています。そこで私は、ジャズやポップス、各国民族芸能とのコラボレーションなど、新しい挑戦を続けながら、民謡を幅広い世代の方が〝共感〟できる音楽へ発展させたいと思っています。そのうえで、古典芸能としての民謡、そして三味線本来の素晴らしさも日本のみならず世界へ伝えていきたいです。

2020年が幕を開け、いよいよ今年は東京オリンピックが開催されます。世界中が日本に注目する今、日本の伝統芸能に携わる者として、どのような音楽やエンターテインメントを世界へ発信するべきか、否、発信しておくべきかがここ数年の大きなテーマの1つでした。三味線をギターやバンジョー、ヴァイオリンのような世界的な楽器にしたい。

国や人種、文化をそう容易に超えられるとは思っていません。しかし私には夢があります。〝人類に共感してもらえる音楽〟これこそが私の大きすぎる夢です。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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