三田評論ONLINE

【塾員クロスロード】
穂苅大輔:山小屋のあるじへの転身

2019/05/17

  • 穂苅 大輔(ほかり だいすけ)

    槍ヶ岳山荘4代目・2009政

「会社を辞めて、山小屋のあるじになります」

こう伝えた時の、上司の表情が忘れられない。まさに目が点であった。

大学を卒業してソフトバンクに入社した私は、5年間法人部門で勤務した後、希望が通り経営企画部に異動した。そこでは新規事業の事業戦略の立案や事業計画の策定を担当。私が予てよりやりたかった仕事だ。それから3年、管理職も見えてきたタイミングでの退職願いだ。上司としては青天の霹靂であったのだろう。しかも山小屋とは何なのか。

私としては特に目新しいことではなかった。家業が創業百年の山小屋であり、誰かが跡を継がなくてはいけない。いつか地元に戻ることは学生時代から薄々考えていた。それに当時退職を決断した最大の理由は、自分の仕事に対してリアリティを感じられなくなってしまったことだ。管理部門に所属していると、提携先企業やグループ企業の人と会うことはあっても、外部の人と仕事上で会うことは滅多にない。また、私がパソコン上で作り上げる事業計画では数千億の売上を見込んでいるが、少しパラメータをいじるだけで数百億もぶれてしまう。数字遊びのようで、まるで実感が湧かなかった。

それに比べて、山小屋の仕事はリアリティの連続である。山小屋というと、ペンションやリゾートホテルを連想する方が多いようであるが、そんな生易しいものではない。現在5軒の山小屋を運営しているが、メインの小屋は標高3000メートルに位置し、岩場にまるで要塞のように建てられた施設である。当然インフラは無く、水は雨水を溜めて活用し、電気は自家発電、物資は全てヘリで輸送している。

主な仕事は登山者を迎え入れ、もてなし、泊めることだ。夏の最盛期には1日500人以上の登山者が来ることもあるが、冬は雪に覆われて営業が出来ない。そのため、春に小屋を雪から掘り出すところからシーズンが始まり、設備を調え、お客様を迎え入れる。そして秋に小屋閉め作業をしてシーズンが終わる。山は季節ごとに違った姿を見せてくれ、私たちは自然とともに生活する毎日だ。

都会で生活していると季節の移ろいを肌で感じることは難しい。自然は美しく、時に脅威となり命の危険を感じることもある。だからこそ山は面白い。これほどリアリティを感じられる仕事は他にはないだろう。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

  • 1
カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事