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【塾員クロスロード】
野上卓:「歌会始」から「筑紫歌壇賞」受賞まで

2019/04/12

  • 野上 卓(のがみ たかし)

    元キリン物流社長、歌会始預選者・1974経

普通部の国語教諭でいらした斎藤公一先生に教えていただいた文芸への夢を棄てきれず、キリンビールに勤務しながら、劇団櫂へ戯曲を書きおろし、渋谷ジァンジァンなどで、10数作を上演した。

この間、第10回沖縄市戯曲大賞をいただいている。

定年退職後、時間ができたので、戯曲に加えて、短歌・俳句に挑戦することとし、ほぼ処女作の「あをあをとしたたる光三輪山に満ちて世界は夏と呼ばれる」という作品で、歌会始に招かれた。

陛下に励まされれば、短歌・俳句に真剣に取り組まざるをえない。

短歌や俳句はそのほとんどが「結社」と呼ばれる組織=「場」があり、そこに所属する人々によって生み出されていく。わたしも短歌・俳句の結社にそれぞれ所属しているが、むしろ新聞歌壇・俳壇への投稿を創作の「場」としている。

新聞歌壇・俳壇は、作者の意思とは別に、選者の好みによって、掲載の可否が決まる(新聞歌壇・俳壇は、選者1人当たり1000もの作品がよせられる)ので、投稿を否定的に見る人も多い。

しかし、わたしには、結社という内向な「場」での表現よりも、新聞や雑誌に載ることで、沢山の人の目にさらされてこそ、という思いがある。

戯曲を書いてきた経験からすれば、どんなにいいものを仕上げても、劇団が取り上げ、舞台にのり、不特定多数の観客に観てもらわなければ、なんの価値もないのである。

こうして、新聞に載った短歌が500首ほどたまったので、そのなかから330余首を選び、歌集「レプリカの鯨」を上梓した。

友人知人に読んでもらうだけのつもりで僅かな部数しか刷らなかったが、たまたま歌壇の重鎮の目に留まり、60歳以上の作者による第1歌集を対象とする「第15回筑紫歌壇賞」に推していただいた。

還暦を過ぎ、仕事や介護を離れて、短歌・俳句を始める人が多いので、こういう賞の存在はありがたい。

ついでながら、三田会の友人たちにも、退職をきっかけに俳句をやりたいが、いまさら慶應OBが重きをなす結社に入るのも、という仲間がいて、「七應会」という俳句を楽しむ会の指導をしている。メンバーは20人ほど。先輩俳人楠本憲吉の「俳句は真剣な遊び」を楽しんで7年たつ。賞をとる仲間も出てきた。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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