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【塾員クロスロード】
大川史織:30年の歳月

2019/01/27

  • 大川 史織(おおかわ しおり)

    映画監督・2011政

祖父は、その島を南洋群島と呼んだ。大学卒業後、わたしはその島で3年間暮らした。

「新卒で? なぜ!?」

島流しにあったかのように、まず驚かれる。自分の意思だと言うと、さらに難しい顔をされる。必ず聞かれるこの問いに、まじめに答えるならば「日本とのつながりを映し出すドキュメンタリー映画を作りたい」と思ったからだ。

だが、もう遅いと言う人もいた。当時を知る人が少なくなっていると。だから、急いだ。

きっかけは、高校2年生の時。核 環境 開発――気になる言葉をインターネットで検索すると「マーシャル諸島スタディーツアー」の案内が目に留まった。第五福竜丸、ゴジラ、ビキニ環礁――米国による核実験場となった場所が、約30年も日本の委任統治下にあったこと、アジア太平洋戦争で多くの命が失われたことを、わたしはその時はじめて知った。

島での暮らしは、いつも歌とともにあった。コイシイワ アナタハ――とはじまる日本語の恋の歌もあり、暮らしのいたるところに、委任統治下の名残と戦争の記憶が顔を覗かせていた。長老は「戦争が日本人を変えた」と錆びついた砲台を前に語った。タイムスリップしたかのような錯覚を覚える一方、戦争が遠い世界の出来事と感じてしまう日本の日常こそ、虚構の世界に思えた。

ツアー参加から4年後。マーシャル諸島をめぐる卒論を執筆したが、日本でマーシャルについて知ることの限界を感じた。その後単身マーシャルで働きながら現地語を学び、3年間カメラを回しながら島の人々のオーラル・ヒストリーを聞き集めた。

2015年、戦後70年の夏。戦時下のマーシャルで、飢えで亡くなる直前まで綴った父の日記を形見に持つご子息と出会った。翌年、ご子息の慰霊の旅に同行し、初監督作品となった映画『タリナイ』は生まれた。映画の編集と並行して、日記の全文解読にも挑んだ。日記が戦友の手によってご家族に届き、全文解読に至るまでの奇跡と軌跡は『マーシャル、父の戦場――ある日本兵の日記をめぐる歴史実践』として上梓した。

2018年12月、マーシャルと日本は国交樹立30周年を迎え、わたしも30歳になった。ささやかなつながりを感じる年に劇場公開が叶った今、次はマーシャル諸島での上映会を実現させたいと思っている。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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