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【塾員クロスロード】
菱田雄介:北朝鮮 そして旅はつづく

2019/01/23

  • 菱田 雄介(ひしだ ゆうすけ)

    写真家・1996経

平壌に初めて降り立った日、空港から街へと続く車窓の景色を眺めながら、自分は時間旅行をしているのではないか? という気がした。農作業を終えて帰路につく農民、歌いながら集団で帰宅する子どもたち。金日成主席への忠誠心や軍国主義がもたらす光景は戦前の日本の延長線上にあるように見えたのだ。

板門店を訪ねると、軍事境界線の向こうに韓国側からやってきた観光客の姿が見えた。ここからバスで1時間も走ればソウルだ。そこにはスタバもあればマックもある。同じ民族が全く別の価値観で国を作り上げていることへの強烈な「違和感」。

この感覚をもとに、僕は「border | korea」というプロジェクトを始めた。北朝鮮でポートレートを撮り重ね、韓国でも同じような年齢、属性のポートレートを撮影し、併置して見せる。新生児から幼稚園児、学生、結婚式、軍隊、中年、高齢者、バス、地下鉄、水平線……被写体は多岐に及び、僕は8年間で北朝鮮に7回、韓国に10回ほど通って1冊の写真集を作り上げた。

まず反応してくれたのは沢木耕太郎氏だった。彼は自身のラジオ番組でこの作品について「その最大の衝撃は、2枚の写真の相違性ではなく、同質性だった」と語ってくれた。写真は作者の意図を超えたイメージを読者にもたらす。相違性だけでなく同質性に目を向けられたことで、この写真集の世界観は広がった。

「border | korea」より。

その後「border | korea」は国内外の新聞や雑誌で紹介され、ドイツのテレビ局でも取り上げられた。個展も東京で複数回行われたほか、韓国でも気合いの入った展示をしてくれた。北朝鮮情勢の劇的な変化も、作品への注目を後押ししてくれた。

僕は学生の頃、「慶應自然に親しむ会」というサークルで旅の仕方を覚えた。2年生で北海道、3年生でヨーロッパを回った僕は、4年生の時にシルクロード横断を行い、バスと電車を乗り継いで北京からイスタンブールまでを旅した。「旅とは熱病のようなものだ」と沢木氏は書いているが、僕の熱病もまだ、冷めそうもない。シリア難民を追ってヨーロッパを横断し、ロヒンギャ難民を訪ねてバングラデシュに赴き、最近は「イスラム国」のその後を見るためにイラクを再訪した。この世界に感じる「違和感」の正体を確かめるため、僕はこれからも現場を訪れ、何かを撮り続けていくのだと思う。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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