【福澤諭吉をめぐる人々】
大槻三代(その1 玄沢)
2022/01/28
自我作古
文化8(1811)年、幕府の蘭書翻訳機関として蛮書和解(わげ)御用(阿蘭陀書籍和解之御用)が設けられた。杉田が「万一禁令を犯せしと罪蒙るべきも知られず。この一事のみ甚だ恐怖せしところなり」(『蘭学事始』)と恐れたオランダ書の翻訳が幕府公認の事業になったのである。55歳の大槻は幕命により出仕し、幕府による最大の翻訳事業とされるフランス人ショメールの『家事百科辞典』の翻訳に取り組む。大槻死後も翻訳作業は続けられ、翻訳本は『厚生新編』と名付けられた。
大槻は、福澤が生まれる8年前の文政10(1827)年に病没するが、その生涯を通じて多数の著書と訳書を残した。中でも、著名なものとして『重訂解体新書』が挙げられる。二人の師の偉業を受け継ぎ、『解体新書』を改訂したものであるが、大槻は、これを単なる改訂の範囲を超えて仕上げた。『解体新書』は、西洋医学を世に紹介する画期的な翻訳本であったが、杉田は、一日も早く出版することを優先したため、翻訳が不十分で、改訂の必要があると自ら感じていた。しかし、杉田には改訂作業に打ち込む時間も体力もなく、弟子である大槻を見込んで改訂を命じたのである。杉田は、次のように大槻を評する。「この男の天性を見るに、凡そ物を学ぶこと、実地を踏まざればなすことなく、心に徹底せざることは筆舌に上(のぼ)せず。一体豪気は薄けれども、すべて浮きたることを好まず。和蘭の窮理学には生まれ得たる才ある人なり」(『蘭学事始』)。
大槻は、元来、事物に対し徹底的に考証せねば気の済まぬ性格であった。原書『ターヘル・アナトミア』翻訳のために古今東西の文献に当たり、解剖を見学して実証を得るなど、草稿に十年余りを費やした。これを杉田に見せることはできたが、出版までにはさらに二十数年がかかった。漸く『重訂解体新書』が世に出るのは、大槻が他界する前年のことである。
蘭学の普及に寄与した著としては、長崎遊学の翌々年(天明8年)に出版した『蘭学階梯』がある。同書は、蘭学と蘭語の入門書で、上下二巻から成り、上巻は蘭学の由来や蘭学入門者への心構えについて述べ、下巻では文字や数字など蘭語の基本的な知識や学習方法を紹介している。大槻は、その上巻において、「一切の道、草創の人の其艱辛労苦(かんしんろうく)、思いやるべきことなり。自我作古(われよりいにしえをなす)の業は右の如く難しき事なる故、今まで二百年来、事を起こさざるも宜なり」と、杉田ら、蘭学草創期の人々の苦難と気概を伝える。自我作古は、中国の古典『宋史』に出てくる語であると言われている。
慶應4(1868)年4月、福澤は、芝新銭座に移転した学塾を慶應義塾と命名し、その独立を高らかに宣言するかのように、塾の精神と主義をまとめた「慶應義塾之記」を広く発表した。「慶應義塾之記」は、前野、桂川甫周(国瑞)、杉田らの偉業を「只管(ひたすら)自我作古の業にのみ心を委ね、日夜研精し寝食を忘るゝに至れり」と記す。福澤は、自らが蘭学の道を切り開く開拓者になるのだという先人の強い気概を、自我作古という言葉を用いて表した。さらに福澤は、大槻や緒方らが継承してきた、洋学の道を慶應義塾が受け継いでいくのだという使命を披露している。
自我作古は、杉田が83歳にして書き遺し、大槻に加筆修正を託した、『蘭学事始』にも「とても我より古をなすことなれば、いづれにしても人々の暁(さと)り易きを目当として定むる方と決定して」と、登場する。この書は、「旧幕府の末年に」福澤の親友神田孝平が偶然にも散歩中に露店で発見し、これを読んだ福澤が先人の苦心と剛勇に涙したことで知られる。福澤は、『蘭学事始』や『蘭学階梯』をもとに「慶應義塾之記」に自我作古の語を用いたのではないかと考えられている。なお、福澤は明治2(1869)年の『蘭学事始』初版刊行に尽力し、明治23年の再版時には、その発見から出版に至る経緯を回想した序文を寄せている。
時は流れ、昭和14(1939)年7月、新設学校の入学式が挙行された。福澤に学び、社会に出て王子製紙を率い、製紙王と呼ばれた藤原銀次郎が、私財を投じて設立した藤原工業大学である。同時に藤原は、やがてこの大学を慶應義塾に寄付すると申し出ていた(実際に昭和19年、慶應義塾の工学部となる)。そのような経緯から、同校の学長に就任した小泉信三は、第1回入学式で198人の新入生を前に、「我れより古を作すという言葉がありますが、諸君は即ち我れより古を作す者でありまして、諸君の歴史が即ち藤原工業大学の歴史になる、諸君の成績如何が藤原工業大学の成績如何となるのであります」と、訓示を述べた。
大槻の用いた自我作古が、70年振りに脚光を浴び、慶應義塾の信条を表す言葉となった瞬間であった。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
カテゴリ | |
---|---|
三田評論のコーナー |